人生の棚卸し


25歳になった。


75歳で人生を終えるとしたら、人生の3分の1を生きたことになる。


25歳という歳は、区切りが良く個人的に人生の1つの節目だと、20歳の時からそう思っていた。


だから、これまでの25年がどんな人生だったのか一度振り返りたいと思い、ノートに印象に残っている出来事を書き記し、全て洗い出す作業をした。


文字総数は11700文字。今までの記憶を11700文字で可視化したことによって気付いたこと。それは、この文字総数のうち自分の価値観を大きく動かした出来事は8つあったということだ。8つという数字が多いのか少ないのかは分からない。人それぞれ異なる部分だからだ。ただ、この8つのエピソードを思い返してみると、自分にとって本当に大きな出来事であって、この出来事があったからこそ今の自分は形成されていると強く実感している。


Episode 1 【努力と研究】


これは、小学校・中学校時代に剣道の道場の恩師が言っていた言葉である。

人の一生は努力と研究。よくこのように言われていた。

この言葉を伝え続けてくれた恩師には感謝している。

ただ、現在の自分に人の一生は?と問うならば、こう答える。


【選択と行動】

何故ならば、努力と研究という言葉は自己研鑽のための行為(行動)であると考えているからだ。今は、何を選択してどう行動するかで人生は決まると思っている。


Episode 2 【自分を信じる】


これも剣道の恩師から言われた言葉である。

このエピソードは小学校6年時に、日本武道館で試合した時の出来事だ。

その試合は、東北のどこかの道場(秋田だった気がする)との試合で、代表戦にもつれこんだ。

代表戦に入る前、恩師から一言、【自分を信じろ】と言われた。

その一言が本当に心強く、結果、僕は勝つことが出来た。

言葉の力について思い知った瞬間だった。


Episode 3 【人と違うことをする】


同じく剣道の恩師からの言葉である。

大将でキャプテンを任されていたということもあり、【人と違うことをしろ】と言われ続けてきた。今になって思う。この言葉は本当に重みがあると。当時は、この言葉の重みとか深みは分からなかった。けれど、今になって自分の答えが出せるようになった。

これこそが個性なんだと。ビジネスの世界だとUSPだと思っている。

最近、中山マコトさんの「マイスタイル起業」という本を読んだのだが、その中でSMAPの世界に一つだけの花の歌詞が紹介されていた。

この歌詞をその時、改めてゆっくり読んだが、これが生きるということなんだと強く思った。


Episode 4 【死生観】


今まで生きてきて、人の死と直面する機会が多かった。

小学校低学年の時、初めて人の死をみた。そして、そのとき初めて死んだ人の頬を触った。

手に伝わったのは、温度が全く感じられない冷たい感覚だった。

中学の時も人を亡くした。

葬式に行って焼香をするとき、亡くなった人の母親から「加藤君も来てくれたんだね」

と泣きながら言われたのを今でも鮮明に覚えている。

これを機に、【人の死や自分の存在価値、そして生き方について深く考えるようになった。】

ある本でマザー・テレサがこんなことを言っていた。

マザー・テレサの近くにいた人が「あなたはなぜ、今にも死にそうな人の傍にずっといるのですか?」とマザー・テレサに聞いた時、マザー・テレサは「私はこの人から学んでいるんです」と答えたという。

僕はマザー・テレサのこの言葉に強く共鳴した。

生きている人間が死んだ人間を助けることは不可能であり、生きている人間が出来ることは、死んだ人間をみて、今後の自分の限りある人生をどう生きるか真剣に考えるということだと思う。


Episode 5 【周囲の視線】


高校時代の時、クラスで孤立したことがあった。

孤立したというよりも、自分で孤立を選んだ。

表面上は、何食わぬ顔でクラスで過ごしていたが内心はやはり辛かった。

けれど今振り返ると、孤立して良かったと思っている。

周りのことが客観的にみれたからだ。

周りの目を気にして生きる必要なんてないのだと、この時から感じていた。

【周りの目を気にする生き方は、自分自身を押し殺し他人の人生を生きることになる。】

そして、孤独になることで自分自身と向き合う時間が圧倒的に増え、孤独になった時の楽しみ方が自分で分かるようになった。

Episode2の自分を信じると繋がるが、最終的に決断するのは自分自身であって他人の意見は参考にしかならない。自分の目で観たモノ、自分の耳で聞いたモノ、自分の手で触ったもの。答えは常に自分自身の中にあるということ。


Episode 6 【自分にとっての言葉】


大学3年時の春、法学部から文理学部への転部試験を受けた。

その時は、国語の教師になりたいと思っていたからだ。

この転部試験の面接で、今でも鮮明に覚えていて一生忘れないであろう次の一言を女性の面接官に言われた。

【あなたは言葉をパフォーマンスとして捉えている部分が大きい】

この一言が自分の心に突き刺さった。

その時は、頭の中が真っ白になりどのような意図で言ったのか自分の中で答えが出せなかった。後になってようやく出た答えは、【自分は言葉そのもので知的に格好良く見せたかっただけなのかもしれない】ということだった。

自分が理解していない難しい言葉を単に並べて格好いい表現をしたかっただけなのだと悟った。

そして、この時から一つ一つの言葉をちゃんと理解しようと胸に誓った。


Episode 7 【色褪せたノートとスプレーアート】


大学3年時、気付きノートを作成した。自分の日常で気付いたこと、感じたことを書き記していった。都内を1人で散策し、ダイレクトに感じた想いを書き綴ったり、映画を観て思ったこと、人間観察から感じたことなど内容は様々。

中でも印象深いのは、自由が丘を散策した時の出来事だ。

フラッと歩いていて、偶然目にしたスプレーアートに感動した。

淡い緑色の背景色に、聖母マリアのような女性と子供が描かれた作品。美術館にもよく行っていたが、この作品が1番脳裏に焼き付いている。

この時から、観る者を感動させたいという想いは芽生えたのだと思う。

今では自分にとって大切なノートなのだが、見つからない・・・

どこかに埋もれていると思う(笑)色褪せてもうボロノートといってもいい。


Episode 8 【負の塊の浄化】


大学卒業後、新卒で富山の会社に就職した。

期間は3ヶ月。世間で言う早期退職という形で離職した。

上司からは毎日のように怒鳴り散らされ、心からリスペクトした社長からは「邪魔だ」、室長からは「何が剣道だ」と言われた。心の中では、「この野郎」としか思っていなかった。

ただ、この時のことを思い出すと何苦礎精神が湧き上がり、今では良い原動力となっている。

富山に出て思ったことは、やはり東京に戻りたいということだった。

去年の夏に何とか東京に戻ることができたが、あの時、あのタイミングで選択しなかったら今、東京にいないと思う。東京に戻って、やっと自分の将来のスタート地点に立つことが出来たと感じている。

富山の会社を辞めることを決意し、山梨に帰るまでの5時間の道のりは最高な解放感で「旅」をしている感覚だった。もう会社に行かなくていいんだ、怒られることはないんだ、と。

何か心の中に抱えていた負の塊のようなものが浄化されていくような感覚だった。


【いま思うこと】


働くって何?仕事って何?存在価値って何?自分にとっての幸せとは何?お金って何?

自分の人生を振り返ったけど、自分自身と真剣に向き合うと疑問は絶えない。

ただ、限りある人生を豊かに生きたいと強く願っていると、自己分析は必須だった。

何事もやってみてから気付きや考えることはでてくるが、この行動はかなりのエネルギーを使うことを実感した(笑)だけど、嫌ではなかった。

時間を確実に確保しないと、自分と向き合う時間は作れない。

過去を思い返して、とにかく書いて書いて書いた。

この時間は未来の自分への投資と信じて疑わなかったから、妥協したくなかった。

自分を見失わないためにも、この行動は今後も継続していく。

今後の未来への自分に強い信念と希望を持って。

【今】と【未来】の自分に向けて

失敗の積み重ねが成功へと導く

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